北上市 農業 昆野 広子
「おじいちゃん大丈夫、大丈夫、苦しいね苦しいね。」と言って手や胸を撫でてあげ、最後まで見守りました。
静かな最期でした。92歳でした。
2年前にいつも一緒だったおばあちゃんに先立たれ、寂しい2年間だったと思います。
私は、45年も前に5人の舅姑のいる農家に嫁ぎました。父や母に大反対されましたが一生懸命にやりさえすれば、なんとかなる、そんな安易な考えで飛び込みました。
大家族の中で、慣れない農作業に子育て、自分だけが不幸に思った事もありました。そんな時、ある友達が「一人の姑に仕えるより大勢の方が厳しさが分散され楽なのでは…」と諭してくれました。「エッ?そんな~」と思いましたが考えてみたら、そうなんだ!そうかもしれないと思い、急に気持ちがスーと軽くなり、大勢だからこそこんな良い面がある、あんな事もと、良い事が沢山見えるようになったのです。
優しくしてくれた5人の舅姑を最期までみてあげるのが私の目標でした。
今年の夏は、義父の1周忌とひいおばあさんの27回忌でした。
私の子供たちを育ててくれたひいおばあさんは寝たきりになって半年程で亡くなるまで(96歳)頭がしっかりしておりました。
その頃は流動食のような物も無く、味噌汁に野菜を沢山入れて柔らかく煮、すりつぶして食べさせたり、ユリ根を掘って食べさせた事もありました。お風呂も1度だけでしたが私が先に入って夫に連れて来てもらい、抱っこして入れてあげました。その時の嬉しそうな顔が忘れられません。
それから19年後にお爺さんが寝たきりになり、お医者さんには老衰に入っていると言われ、どんどん弱っていくのをそばで見る事の辛さ‥‥。でも大好きな相撲を観ながら98歳で亡くなりました。
最後に義父が亡くなってちょうど1年、ホッとしたような、淋しいような、あっという間の1年でした。
最近は老人ホームにお願いする家庭が多くなりました。私も義父のことを、もしかしたら快適に過ごせるのではないかと1ヶ月だけお願いしました。でも義父にとっては家で過ごすことが一番でした。今でもあの1ヶ月が悔やまれてなりません。
家に連れて帰り、訪問看護さんに助けていただいて酸素吸入や痰をとってあげましたが義父は穏やかな顔で我が家で過ごしました。
家で看取ってあげられたのも訪問看護さんのおかげと心から感謝しております。
本当に良い時代になったものでこのような在宅介護の色んな力を借りれば、もっと多くの人が家で看取ってあげられるのでは、と痛切に思いました。
4人を我が家で、私の母を含めて5人を看取りましたが、人は皆同じような死は無い、それぞれに違うことを知りました。そして私も必ず行く世界にどんな形で行くのだろうかと思ってしまいます。
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